1989年2月、新しい時代状況に対応して90年代祖国統一を実現するために、韓民統は組織を改編し、在日韓国民主統一連合(韓統連)を発足させました。
その年の4月、文益煥(ムン・イッカン)牧師が北韓を訪問し金日成主席と統一方案について協議し、合意するという画期的なできごとが起こりました。7月には林秀卿(イム・スギョン)さんが韓国の全国大学生代表者協議会(全大協)を代表してピョンヤン青年学生祝典に参加、板門店を通って韓国に戻るという快挙をなしとげました。
こうした状況の下で、韓国の全国民族民主運動連合(全民連)は「韓半島の平和と統一のための汎民族大会」の開催を北と海外同胞に呼びかけました。
韓統連はこれに積極的に応え、韓民連を中心とする海外韓国同胞団体に広く呼びかけて汎民族大会を推進したのです。
国内外の闘いによって、90年6月、予備会談に参加するために3名の韓統連代表が海外代表と共にソウルに堂々と入り、韓国の民主勢力と共に汎民族大会の開催について合意しました。
こうして8月15日、板門店で汎民族大会が盛大に開催されました。
この成果にもとづいて11月、ベルリンで南北海外の代表が集まり、祖国統一汎民族連合(汎民連)が発足したのです。
汎民連こそは、長い間の国内外統一運動がつくりだした貴重な成果であり、民族大団結の象徴なのです。
|